呆けと認知症、?と発達障害

メンタル

認知症のことを痴呆と、すこし前には言っていました。呆け老人なんて言おうものなら、今やコンプライアンスに抵触してしまうという、何かと窮屈な今日この頃です。

だからかどうかは知りませんが、発達障害のことを最近よく耳にします。実際その数は、増加傾向にあるようです。適切に医療機関に繋がることがないまま、大人になってから診断されることもあると聞きます。

「何となく生きにくい」と、いまの時代ほとんどの人が一度くらいは思ったことがあるのではないでしょうか。その理由は障害だったという判定を受けたとき、人は何を思うのでしょうか。その次期が子ども時代であれば、療育が始まったり、特別学級に変わるなどの変化がもたらされるでしょう。でも、学校教育を終えた人の場合は、日常の変化は少ないと思います。ただ障害と付き合ってきた時間が長い分、原因が分かってホッとしたりするかも知れません。

この障害のことを、以前はなんと呼んでいたかがどうしても思い出せません。直ぐに思い浮かんだのは、ごゆっくりさんくらいです。何となく雰囲気の違う人が身近なところに居たこともあるし、もしかしたら自分も、近くの人にそう思われていたことがあるかもしれません。

ながいながい人類の歴史の中で、たまたま生まれ落ちた時代に適応できるかどうかの問題です。適応してるとしても、時代に合った知能をたまたま持って生まれ、適切な生育環境にあったということにすぎません。私自身、狩猟生活をしている時代に生まれたならば、足が遅いうえに何より考えずに動くことができないたちなので、直ぐに食べられてしまうか飢え死にしていたのではと思うことがあります。

なんとか適応できる時代でよかったと思うと同時に、同じ時代を生きる者として何ができるのか考えていきたいと思ってます。

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